今回も、虚数について考えることにしますので、前回と重複する内容も出てくると思いますが、ご容赦ください。同じ人間が書いていますので、考えることは時間がたってもそれほど変わらないと思われます。
さて、虚数は英語で imaginary number (イマジナリー・ナンバー)といいますが、これは直訳すると、「想像上の数」となります。「直訳」というのは私の嫌いな言葉で、翻訳は直訳と意訳にはっきり分かれるわけではありません。また、私が直訳と言った場合と他の人が直訳と言った場合とでは意味が違うようです。それはともかく、imaginary は imagine という動詞から作られた形容詞ですから、「想像上の」という意味がもっとも基本となると思います。では、なぜ、虚数のことをヨーロッパ人は「想像上の数」と呼んだ(名づけた)のでしょうか。このことばを名づけたのはデカルトで、デカルトはフランス人なので、ある本の中で虚数について考察しながら、虚数のことをフランス語でこれは nombre imaginaire であると書いたのです。それが他の国にまで広まって、英語では imaginary number というようになりました。では、なぜデカルトは虚数に対して「想像上の数である」という説明を加えたのでしょうか。それは、実数は実在する数であり、それに対して2乗すると負になるような数は「実在しない」数であると考えられたから、「想像上の数である」という説明を加えたのです。
つまり、「想像上の」という形容詞に対する反対語は、この場合、「実在する」ということなのです。
数が実在するとか想像上であるとか、この数は実在するけれどもあの数は実在はせず単なる想像上の存在であるとかいうことは現在ではナンセンスで意味がわかりませんが、当時のヨーロッパでは正の実数は存在するけれど、負の数は存在するかどうか怪しい。ましてや、虚数などというものは、あれは計算上の便宜であって、実在の数ではないし、現実のものやこと、物体や事件など、とは関係のないものであると考えられていたのです。
ところで、日本の大学生に「虚数はなぜ英語で imaginary number というのか」という質問を投げかけると、ある一定の割合で、「役に立たない数だから」という答が返ってきます。ある一定の割合と書きましたけれど、これは数としては大きくはないけれど無視できないほどの頻度で起こるということです。
つまり、このことからわかるのは、日本人にとっては、ある概念に対応するものが実在するかどうかなんていう問題はどうでもよいのであって、役に立つかどうかの方が大切だと考えているということです。
ある概念があって、それが実在するかどうかという問題をヨーロッパ人たちは紀元前のギリシャ時代から考えてきました。一方、私たち日本人にとっては、それはどうでもいいことで、「実在」ということばすら日常生活では使っていない(使わずに生活できる)し、存在と実在はどう違うのかと聞かれてちゃんと答えられる日本人はいません。
話があちこち飛んだかも知れませんが、「虚数」ということばを聞いて私が考えるのはこのようなことです。