工学部 基礎教育研究センター

吟味について

吟味とは、もともと詩歌を吟じてよく味わうことという意味である。吟ずるの「吟」と「味わう」の「味」から出来ている。この意味から転じて、ものごとをよく調べることという意味で使われる。料理屋さんでは、「吟味した食材を使っています」などと言うし、時代劇では大岡越前が「吟味いたす」と言って罪人(被疑者)を取り調べる(?)。

さて、数学では、作図問題で「吟味」ということばが用いられます。例えば、平面上の2点から等距離にある点の軌跡(その条件を満たす点全体の集合)を求めるとき、初めに点Pが2点A, Bから等距離にある、すなわち、2点からの距離AP, BPが等しいものと仮定して、そのことから三角形PAB が二等辺三角形になること、従って、二等辺三角形に関する定理から、PからABに下した垂線がABの中点を通ることを示します。このことは、点Pが線分ABの垂直二等分線の上にあることを示しています。
このように、与えられた条件から得られる情報を点Pを主語とした文章に変換できれば作図問題は半分解決したも同然です。
以上のことから、求める軌跡は線分ABの垂直二等分線だということがほぼわかるのですが、ここでそうと結論付けてしまうのは早計です。
なぜなら、ここまでの議論でわかることは「点Pが2点A, Bから等距離にあるならば、点Pは線分ABの垂直二等分線上にある」ということが示されたにすぎず、集合論のことばを使って言い換えるならば、求める軌跡がABの垂直二等分線に「含まれる」ことがわかったに過ぎないからです。
数学では、xとyが等しいことを示すには、xがyに含まれること(必要条件)を示しただけでは足りず、必ず、逆にyがxに含まれること、つまり、xがyを含むこと(十分条件)を示さなければならないのです。どちらか一方だけでは「片手落ち」(?)となります。
そこで、さきの作図問題では、最後にABの垂直二等分線上の点は確かにAとBからの距離が等しいことを言わねばなりません。でも、これは上で引用した二等辺三角形に関する定理の逆に言及するだけで済みます。
このように、作図問題では必ず最後に吟味をしなければならないのです。

これは、あたかも法廷で、「Aは犯人だ」ということを証明しただけでは不十分であり、「犯人はAだ」ということも合わせて証明しなければならない状況と(もし、そのような状況があれば)似ています。「Aは犯人だ」ということが証明できただけでは、「他にも犯人がいるかも知れない」という事実を見落としている可能性があるからです。

なので、作図問題で求めた条件が十分条件でもあるかどうかを調べるのは、法廷で審理が終了したあとで、さらに事件を詳しく調べることと似ていますので、「吟味」ということばはなかなか雰囲気をよく表していると思います。作図問題では常に点ではなく、点の集合が問題となるので、「含まれる」と「含む」の両方を調べる必要があるわけです。

ところで、最近の学校(中学、高校)では、この吟味をあまりやらない傾向があるようです。中等教育段階では、吟味によって結論が修正されるような複雑な問題はあまり扱われず、従って、吟味はだんだんと形式的な付けたり、意味はわからなくても「そして、逆も成り立つ」と文末に付け加えておけばオーケーみたいな感じとなって、軽んじられているせいかもしれません。

実際、実効的には吟味が必要な問題はほとんどなく、学校で習うような定理はほとんどが逆も成り立つものばかりなので、吟味をしないのはある意味で「合理的=合目的的」な行動なのかもしれません。

行動心理学的にはそれでいいかもしれません。しかし、社会心理学的にみたときはどうでしょうか。学校教育は、個々の生徒ではなく、集団としてのある世代全体を対象としています。数学をよくわかっている生徒は「吟味はしなくていい。なぜなら。。。」という説明を理解して、「だから、吟味を省略してもいいんだ」と思うでしょう。この子たちは、吟味を書かなくても、頭の中で吟味できている生徒です。でも、「世代全体」の中にはそうではない生徒も大勢含まれています。「吟味は書かなくていい」と指導される生徒の中には、それがなぜなのか理由がわからず、「先生がそう言っているから書かなくていいんだ」という別の理由づけを勝手に発明してしまう生徒もいるのではないでしょうか。

◆ 公教育と私教育
教育は、本来「私教育」であるべきだと主張する人もいます。しかし、現実として「公教育」という教育の形がこの国では制度化され機能しているのですから、公教育としての立場ではどうするのが最善かを考えてみる必要があるのではないでしょうか。もちろん、現実の教育現場では、私教育らしさが発揮される場面と、公教育らしさが発揮される場面の両方がバランスよく存在することが必要ですが。

Thank you, Professor Noro!

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