こんにちは、基礎教育助教の大森弦史です。私の専門は西洋美術史で、工芸大でも関連科目をいくつか担当しています。前回は「西洋美術史入門」という記事を書きましたので、よかったら読んでみてください。
さて、2014年度は「私のオススメ」が共通テーマなので何でも好きなこと書いてもいいんですが…。1回目にしてマニアックすぎる話題で引かれてしまうのもアレですので、とりあえず専門に関係していることから、多くの人がたのしめそうなもの、について書いてみることにします。
私がオススメするのは、「Google Art Project」というウェブサイト(ウェブアプリ)です。
* Google Art Project: http://www.google.com/culturalinstitute/project/art-project
簡単に言うと、いろいろな美術館や博物館の所蔵作品を閲覧することができるサイトで、その名の通り、あのGoogleが運営しています。美術作品が見られるサイトはインターネット黎明期からたくさんありましたし、現在では、ほとんどの美術館が自前のサイトでコレクションを公開し、公的機関によるオンラインデータベースも充実してきました。そういう意味で新規性があるわけではないのですが、「調べる」ことに偏りがちだった従来のサイトとはまた違った特徴をもっています。それは、美術作品を「たのしむ」ことを強く意識したサイト設計がなされている点です。
アレコレ説明するよりも、実際にさわってみましょう。パソコンに慣れている方なら、説明なしでも直感的に操作できる作りになっています(英語中心ですが一部日本語にも対応しています)。図1は、だれもがどこかで目にしたことがあるであろう、イタリア・ルネサンスの画家ボッティチェリによる《ヴィーナスの誕生》(ウフィツィ美術館、フィレンツェ)です(実際に見てみるには、こちら)。
マウスのスクロールで自在に拡大・縮小できたり、作品に関する説明や動画を表示したり、関連作品を表示したり、2つの作品を並べて比較したり…、さまざまに便利な機能が付いています。中でも面白いのは、タイトルの後ろに表示される人型アイコンをクリックすると、実際の美術館をヴァーチャルで巡ることができる機能です。ストリートビューでお馴染みのGoogleならではの技術ですね。なお、この《ヴィーナスの誕生》はGigapixel(超高解像度)で表示できるため、驚くほど細部まで観察することができます。例えば、図2は、どの部分だか分かりますか?
実は、ヴィーナスのおヘソです。傘をかぶった人の頭みたいに描かれていたんですね…私はこれで初めて知りました。「なぜ、ヘソを?」という疑問は置いておくとして、質の良い画集であっても、ここまでのディテールを目にする機会はないですし、現地で実物を目の前にしたところで、照明が暗かったり近寄れなかったりガラス越しだったりして、このおヘソの形に簡単に気づくことはないでしょう。
Google Art Projectが収録している画像はかなり精度が高いので、研究者にとっても大変有用なツールです。私が学生の頃は、精緻な作品写真を入手するのに苦労しましたが、いい時代になったものです(その時お世話になった先生は「カラー写真が簡単に手に入るなんて、いい時代になった」と仰っていましたが…)。
さらに重要なのは、このツールが世界中の人々に平等にひらかれているということです。これまでは、専門家でなければ作品をこれほどじっくり観察できる機会を得ることすら叶わなかったわけですが、テクノロジーの進歩によって、誰もが自在に作品を鑑賞できる「場」が誕生したといってもよいでしょう。今後、数多くの新しい発見を促すきっかけになるでしょうし、美術史という学問にとっても非常に有意義なことだと思います。
また、ただ眺めるだけで十分にたのしめるので、そこまで美術に関心がない人にもオススメです。何かの広告で使われていた作品が素敵だったからじっくり観てみたい、とか、今度の旅行先にある美術館はどんなところだろう、とか、ネコ大好きだから「ネコ」を探してみよう、とか、動機はどんなものでもいいと思います。美術鑑賞というと、肩が凝ってしまうかもしれませんが、これだったら出かける必要も、入場料を払う必要も、静かにする必要もありません。美術も芸術も根源的には遊びたのしむものですから、多くの人々がこのツールを通じて、この世界に気軽に足を踏み入れてもらえたなら、研究者のはしくれとしては嬉しい限りです。
加えて、工芸大生をはじめ〈創り手〉を目指す学生の皆さんに、もうひとつ申し上げておきたいことがあります。このツール、皆さんのような〈創り手〉にとって非常に役に立ちます。役に立つって一体どういうことかをお話するのに、もう一度、ボッティチェリの《ヴィーナスの誕生》に登場してもらって、今度はおヘソじゃなくて別のところを拡大してみましょう(図3)。ここはどの部分でしょうか?
これは、ヴィーナスの髪の毛の拡大図です。湿り気を帯びながらも風に軽やかにたなびくストロベリー・ブロンドは、この絵の大きな魅力のひとつですが、こうやって拡大してみると、わりとぞんざいに描かれていることが分かります。色はほぼ3色(専門的な色名を使わずにいうと、黄色・茶色・こげ茶色)で構成され、細筆による長いストロークがかなり大雑把に重ねられています。なのに、全体として観た時には、絹糸のような艶と光沢をたたえ、その色合いが無限に変化する髪の毛そのものに見えてくるのだから不思議なものです。
人物を描いたことがある方ならピンとくるでしょうが、髪の毛を「らしく」描くのは、素人にはかなり難しいです。ゆらゆらして重量感もないのに、はっきりとそこにあって、人物の印象のかなりの部分を決定づけている要素だからです。とらえどころがないくせに存在感抜群なんですね。輪郭を捉えようとするとヘルメットをかぶっているみたいになりますし、軽やかさを表現しようとして闇雲に線を重ねてみても、今度はペッタリとして、なんというか…毛髪のヴォリュームの乏しい方のようになってしまいます。このヴィーナスのように、豊かなヴォリュームがあってかつ柔らかさや軽やかさをも表すのは、当たり前ですが、素人には至難の業です。
素人ならあきらめれば済みますけど、〈創り手〉を目指すなら、そうも行きません。どうやったら上手く描けるのか、試行錯誤を繰り返すことになります。実際のモデルをじっくり観察してみたり、手を正確に動かすトレーニングをしたりと、あれこれやってみることになるでしょう。そうやって自力で答えにたどり着くのも大事なことですが、「お手本」にならうのも大変有効な方法です。つまりは模写ですね。この場合だと、ボッティチェリが髪の毛という対象をどのように捉えているのかを、実際に手を動かしながら追体験してみるわけです。
言葉にするとわかりづらいとは思いますが、ボッティチェリは一本一本というよりは、螺旋を描きながら絡まるいくつもの円筒状の束として髪の毛を捉えているようで、束ごとに明暗を3色で割り当てています。こうして全体の輪郭をハッキリと意識しつつ、その一方で長くゆるやかなS字線を髪の毛の流れにあわせて勢いよく重ねていっています。髪束の形をおおまかに捉えながらも、髪の毛特有の運動を筆によって反復しているわけです。全然分かりやすくないですね…。試しに鉛筆でもいいのでちょっとやってみてください。そうすると、わりとすんなり納得できると思います。
髪の毛に限らずですが、何かを描くときの「コツ」というものが少なからずあるわけで、魅力的な作品には必ず巧みな「コツ」が隠れているものです。それを学びたいなら模写が一番の近道だと私は思います。独創性ばかりもてはやされる昨今ですが、偉大な先例に学ばない手はありません。独創性とは、学びとったものを活かした先にこそあるのです。
もう一点、私が大好きな作品を紹介してみます。ドイツ・ルネサンスの画家デューラーが描いた《野ウサギ》(アルベルティーナ版画素描館、ウィーン)です(図4)。
…モッフモフですね。飼い慣らされたウサギとは一味違う、やさぐれた感じもポイント高いです。まあそれはいいとして、デューラーはしばしば水彩絵具という細密描写に適した画材を用いてこうした緻密な自然観察を試みていますが、これまたGigapixelなので、思う存分拡大できます。実際に試してみてください(こちらをクリック)。
…どこまで丁寧に描けば気が済むんでしょうかね、この人は。これも「毛」ですけど、短く色の異なる無数の毛が、体表にどのような密度でどのような向きで生えているのかをルーペで観察したかのような徹底ぶりです。「なんか上手く描けないなあ」などとぼやいている学生諸君は、こういうものを前にすると、いかに自分が見ていないか手を動かしていないかを思い知ることになるでしょう(なお、逆に思い知りすぎて心をへし折られないように注意もしてください)。
まあともかく、デューラーの「毛」へのアプローチは、ボッティチェリのそれとは随分違いますね。もちろん絵の対象も大きさも画材も異なっていますが、両者が対象から何を感じ取り、何を表したいかということ自体に大きな違いがあるわけで、この《野ウサギ》の場合、細部への偏執的な取り組みがあって初めて、揺ぎない凛とした全体の佇まいが実現されているといえるでしょう。ちなみに、これはどちらが優れているとかいう話ではありません。表したい〈何か〉に対して、最も相応しいやり方を芸術家が選択し、それを行き着くところまで追求しているからこそ、作品はそれぞれ異なった魔力を発揮し、人々を強く惹きつけることができるのです。これは写真でも映像でもマンガでもアニメでも結局は同じことです。
そしてその魔力の秘密を探り、自分のものにしたいと思ったら、ただ漫然と眺めているだけでは足りません。細部に至るまでくまなく観察したり模写したりして、「コツ」を体得しなければならないのです。皆さんがそれを学び取りたいと思った時、Google Art Projectで眼にすることの出来る高精細な画像は、きっと大きな助けになってくれると思います。講義でいつも言うことですが、過去の美術は〈創り手〉にとって霊感の宝庫です。あなたが表現したい〈何か〉の「お手本」が、そこら中にゴロゴロとしているのです。そんな「お手本」たちをじっくり、隅々まで、しかもタダで観ることが出来るこのツールを大いに活用して、あなたにしかできない新しい作品をどんどん生み出していってください。
マニアックな話題を避けたつもりが、おヘソだの毛だのと、マニアックな薫りが若干(?)ただよってしまったことに最後に来て気がついてしまいました。…まあ美術史ってそんなところがありますし、書いちゃったものは仕方がないですね。このリレー連載の方向性については、後に続く教員陣にお任せすることにしまして、このへんで私は筆を置くことにします。それでは。
*参考記事:Google Art Project がどういう経緯で生まれたのか、については、以下のインタビュー記事が面白いです。
デジタルアーカイブスタディ 2012年05月15日号
影山幸一:「Google Art Project」世界とつながっているアート──グーグル 村井説人
http://artscape.jp/study/digital-achive/10029828_1958.html(2014年4月20日現在)