実数とか虚数ということばはどのようにして名づけられたのだろうか。
実数は英語で real number という。これは、「現実の数」という意味である。一方、虚数は英語で imaginary number という。これは字義通りには「想像上の数」という意味である。
このように、英語では、real number とか imaginary number ということばは数学用語でもあるが、日常語としても解釈できる。「現実の数」の意味の real number と、「実数」の意味の real number の間には形の上の差異はなく、おそらく、発音、アクセントの上でもほとんど差異はない。
一方、日本語では「実数」は数学用語の real number の訳語であって、日常用語の real number の訳語ではない。つまり、数学の内容を輸入するための手段として、「熟語となった」 real number を受け入れ、それを「実数」と訳したのである。日本語には、たくさんの専門用語があるが、数学以外の分野でも状況は似たものであろう。専門用語は専門用語として、日常用語とは別個に訳語が考案されたのである。
さて、では、昔のヨーロッパ人はなぜ、虚数(=実数以外の数
を imaginary number と名付けたのだろうか。
実数係数の2次方程式が実数の範囲に解をもたないとき、その「代わりに」虚数の解をもつと考えらえる。2次方程式の2つの解が一致しないとき、その2次方程式は2つの実数の解をもつか、それとも2つの虚数の解をもつかのどちらかのケースが考えられる。それ以外に、実数の解を1つと虚数の解を1つもつことも論理的にはあり得るが、現実にはあり得ない。これは、ちょっと考えると面白いことである。2次方程式の解の一方が実数ならば、もう一方も実数でなければならず、一方が虚数ならば、もう一方も虚数でなければならないのである。
このブログを読んでいる人が意外に多くいるらしい。先週は新入生オリエンテーションがあったのだが、付添いに来た3年生や4年生から、先生のブログは長すぎて読めませんというコメントをいただいた。
それは、ともかく、虚数は実数の自然な拡張として、平方すると負になる数を含む計算体系として始まった。これが案外つじつまがあっていて、計算ができると分かると、広く使われるようになった。
虚数ということばを最初に書物の中に書いたのはデカルトだと言われている。デカルトの著書の中に nombre imaginaire とフランス語で書かれた部分があり、それを英訳すると imaginary number となる。フランス語も英語も「想像上の数」という意味である。
ところで、Wikipedia のあるページには、「当時は、ゼロや負の数ですら架空のもの、役に立たないものと考えられており、負の数の平方根である虚数は尚更であった。デカルトも否定的にとらえ、著書で「想像上の数」と名付け、英語のimaginary numberの語源になった。」と書いてある(Wikipedia)デカルトのような古い時代の人が、虚数の存在に疑問をもったことは、何となく理解できる。しかし、真相はどうだろうか。「否定的だった」のようなジャーナリスティックな表現をここに持ち込んでいいのかどうか、私は非常に疑問を感じる。虚数が計算上は便利なので、数学者によってどんどん使われたことは時代背景として知っておく必要がある。実際、カルダノらによる3次方程式、4次方程式の解法は虚数を使わなければ不可能なのであった。一方、デカルトのような哲学者は、虚数の有用性は認めつつも、その存在論に疑問を呈したというのも分かる気がする。つまり、使ってみたら有用だった、つじつまがあっていた、「想像上の数」を経由した計算の結果、正しい答が得られたからと言って、それらが実在すると言っていいのかという、非常に西洋の哲学者らしい問題意識をもったというのなら、話は分かるが、そのことと、「2乗したら-1になる数だって、そんなのあるの?信じられなーい」という一般人のレベルの話とを混同してはならないのだ。
歴史を書くということは、見聞きしたいろいろな話をつなぎ合わせてひとつの物語にするという面白さがある。しかし、だからといって、文脈も、背景にある認識の深さも無視して、何でも話を紡ぎ合わせれば、それで歴史になると考えるのは、浅はかなのではないだろうか。
今回のブログは、オチがついたところで、めずらしく短めに終わることにする。