建築コース

建築史特論見学会 東京都中野区の三岸アトリエを訪問しました

7月1日(土)午後、大学院授業・建築史特論Iの見学会として東京都中野区上鷺宮の三岸アトリエを訪問しました。

三岸アトリエにて 説明風景(撮影:志岐祐一氏) かつては螺旋階段の奥の壁も開放されていた(三岸アトリエ公式ホームページ参照)

このアトリエは、ドイツの造形学校バウハウスで建築を学んだ山脇巌(1898-1987)が画家・三岸好太郎(1903-34)のために設計し、1934年に竣工した白いモダニズムの建築です。山脇は当時数多くの近代デザインの住宅を設計しましたが、その希少な現存例として知られます。2014年に国の登録有形文化財となりました(登録名称「三岸家住宅アトリエ」)。

三岸アトリエにて 説明風景. 当初は左側に見える開口部が天井まで伸び、トップライトに続いていた

今年の建築史特論では、ドイツと日本を中心に「建築における近代/モダニズム」について理解を深めることを目的に授業を行っています。このテーマにとって三岸アトリエはまさにベストな見学対象でした。見学の希望に対してご快諾くださったアトリエMの山本様に感謝いたします。

三岸アトリエにて 説明風景. 近代の住宅建築の保存に造詣が深い志岐祐一氏(右)にお話しいただいた

北海道立三岸好太郎美術館のホームページでも紹介されているように、近代の建築デザインに興味をもっていた施主・三岸好太郎は、自ら構想した大きなガラス面と白い壁面をもつアトリエ建築の姿を絵画に残しています。それを具体化させたのが山脇巌でした。しかし三岸好太郎は、アトリエの竣工を見ることなく、1934年7月に他界します。竣工後は同じく画家の節子夫人のアトリエとして使用され、その後現在までご遺族により維持されてきました。当日教えていただき気づいたことですが、われわれが訪れた7月1日は、偶然にも三岸好太郎氏の89回目の命日でした。

三岸アトリエ 見学風景.南面がガラスで開放された明るい空間

三岸アトリエは現在、お孫さんの山本様によって活用されながら(さらに修繕されながら)大切に守られていることを実感しました。モダニズムの建築デザインを木造で実践した近代日本固有の試みを伝える貴重な建築遺産です。90年近い年月の中で、各部の老朽化や建具の取替などはみられますが、南面に大きなガラス窓をもつ2層吹き抜けのキューブ状の内部空間は今も健在で、画家の理想を知ることができます。一品生産の鉄製螺旋階段はそれ自体が文化財と呼べるような味わいがありました。

三岸アトリエ 鉄製の螺旋階段

三岸好太郎氏のエピソードを聞き、建築を守り続けるご遺族の熱意を知ったときに考えたのは、近代の住宅建築における「施主」の貢献です。一般に近代住宅は建築家の名前とともに語られますが、建築家に負けず劣らず重要なのは、それを実現させた施主の存在ではないか。私はミース・ファン・デル・ローエのトゥーゲントハット邸を題材にした紀要論文でそのテーマに触れていますので、興味がありましたらぜひ御覧ください(海老澤模奈人「ミース・ファン・デル・ローエのトゥーゲントハット邸をめぐる議論.翻訳と解題」東京工芸大学工学部紀要, 2015年1月, pp.1-15)。

見学後に螺旋階段上から記念写真(撮影:志岐祐一氏)

全国的に雨天荒天の予報が出ていた一日で、午前中は雨が降り続いていました。しかし幸運にも午後には雨がやみ、充実した見学会となりました。学生たちにとっても良い建築体験になったと思います。改めまして、丁寧にご案内いただいた山本様に感謝いたします。

三岸アトリエ 内部空間(撮影:志岐祐一氏)

【作品】田村裕希准教授「二つの敷地に建つ家」@住宅特集

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