芸術学部 基礎教育

リレー連載「左手の「シャコンヌ」」

*この記事は松中義大基礎教育教授が執筆しました。

少し遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。
本年も基礎ブログをよろしくお願いいたします。

さて、何について書こうかと思い悩んでいるうちに原稿の締め切りが迫ってしまいました。「ネタがありませんでした」で終わらせるわけにもいきませんので、専門や授業のこととは全く関係なく、最近聴いたCDをご紹介することにします。

昨年の11月にアレクサンドル・カントロフというピアニストの新譜がリリースされました。ブラームスのピアノ曲を集めたものです。彼の父親はジャン=ジャック・カントロフという高名なバイオリニストで、彼自身も十代の頃から世界的に活躍し、2019年のチャイコフスキー国際コンクールで優勝したという輝かしい経歴を持っています。

このCDの最後に「左手のための「シャコンヌ」」という作品が収められています。この曲は、バッハの有名な「シャコンヌ(無伴奏バイオリンのためのパルティータ第2番の中の一曲)」をブラームスがピアノ用に編曲したものです。ブラームスは、クララ・シューマン(作曲家シューマンの奥さんで、ピアニストでもあった)を敬愛(単に尊敬とも違うとても複雑な感情だったようです)しており、この曲も彼女がケガをして右手を使えない時に、左手だけで演奏できるよう早速編曲して彼女に捧げた、と言われています。捧げる際に添えられた手紙には、原曲について「バッハのシャコンヌは私にとって最も素晴らしい、最も難解な音楽です。ひとつの方式、小さな楽器に「彼」は世界の最も深い思想と、力強い感動を書き込んだのです。私があの曲をもしも作ったと想像してみると、あまりに大きな精神の昂揚と感動に、きっと気が狂ったであろうと思われます。」(『ヨハネスブラームス・クララシューマン友情の書簡』p.226(原田光子訳・みすず書房))ここにはブラームスのバッハに対する尊敬が感じられます。

原曲は、バイオリン一挺(ちょう)で、しかも同時に出せる音は2つに限られるという制約の中で、信じられないほど壮大な宇宙を描いている大曲で、大好きな曲の一つです。私はバイオリンは弾けないのですが、十代の頃ピアノを習っていたので、「全音ピアノピース」という一曲ごとに分売されていたシリーズにあった小林秀雄編曲のものや、もう少し上達すると有名なブゾーニ編曲のものを弾いていました。こうした編曲版では、バイオリンにある同時に出せる音の数の制約を取り払って分厚い和声で肉付けしてあり、曲の荘厳さ、雄大さは増すのですが、その一方で原曲の持つ簡潔な響きが失われ、いわば「バッハらしくない」曲になってしまいます。

しかし、このブラームスの編曲は方向性が全く異なるといってよいでしょう。余分な音をなるべく付け足さず、原曲にほぼ忠実な編曲です。左手だけで演奏することで同時に出せる音の数にはバイオリンとは違った意味で制限がかかっています。また、メロディーは、バイオリンと同じく単旋律で演奏され、安易に和声がつけられていないのでとてもシンプルです。一つの音しか鳴らないのですから、演奏者は細心の注意を払って音の大きさ・硬さ、微妙なテンポの揺れをコントロールしなくてはなりません(しかも左手で!)。私も何回かチャレンジしてみましたが、技術的な面だけではない難しさに手も足も出ず、諦めました。

カントロフの演奏でこの曲を聴いた時、その音色・響きがとても美しくて深く、バッハの音楽にしては自由すぎるテンポの揺らぎにもかかわらず決して作為的に感じさせない集中力の高い音楽の作りに心を大いに揺さぶられ、感動を覚えました。フランスの教会で収録されたからか、宗教曲ではないにも関わらず、「祈り」のようなものを感じさせます。

取り留めもなく、ダラダラと書き連ねてしまいましたが、機会があればぜひ聴いてみていただきたいと思います。冒頭に「最近聴いたCD」と書きましたが、実を言うとCDを買ったわけではなく、Apple Music で聴きました。Spotify でも聴くことが出来るようです。便利な時代になったなと痛感します。

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