明治の初め、西洋から日本に続々と自然科学書が入ってきたとき、(その当時すでに英語は世界の共通語としての位置を占め始めていたと思われるが)、たとえば、物理の教科書を読んで、当時「文人」と言われた知識人たちは、正直に言って、これと同じ内容のことを日本語で書けると思っただろうか。 「いや、わが日本国の将来の科学技術の発展のためには、是非とも日本国人民、が容易に理解できる日本語に翻訳せねばならない」という「気概」は大いにもっていたと思われる。しかし、それが本当に可能かと問われると、なかなか苦しかったのではないか。即答は致しかねるというところではなかったか。
たとえば、自然科学の根幹に位置する「力学」である。ニュートン力学が、ラグランジュ、ハミルトンをはじめとする天才たちの手によって、数学的に洗練されてできた「解析力学」の教科書を読んで、明治の文人たちは、その理論の美しさとともに、英文それ自身の美しさにも感嘆し、魅せられたはずである。西洋の自然科学的な世界観と、それを支える西洋語独特の文構造。こういったものが、その「調和」と「美しさ」を保ったまま、日本語にすんなり置き換えられるとは、とても思えないと感じたのではないか。翻訳の作業をしていて、ああ、数式の部分は訳さなくていいんだ、というのが、どんなに救いだったか。何しろ、ひとつひとつの用語に対し、いちいち訳語を考案しながら進まなければならなかったのだから、その茨(いばら)の道を進むような苦労たるや、もって偲ぶべしである。
当時、西洋語にあって日本語にない概念がたくさんあった。現代でもそうであるが、似たようなことばが見つかっても、日本語と英語とでは、概念の範囲がずれている。概念としてずれているということは、西洋語の意味にぴったり合う日本語の単語は「ない」ということと同じである。このような事態に対して、まったく新しいことばを作ったり、中国ですでに宣教師たちなどによって使われていた訳語を取り入れたり、それまで日本語にあった似た意味の言葉で代用したりして、訳語を決めていった。そのようにしてできたことばの多くは、それ以後、西洋語の単語に対応することばとして、日本語の中に定着し、いまでも使われている。下のリストを見てほしい。
- 日本人が漢字を組合わせ 新しく作った 単語 個人、新婚旅行、哲学、科学、彼女、時間、
- すでに中国で 宣教師などが使っていた 単語 冒険、恋愛、電報、
- 日本語の中にあったが 違う意味だった 単語 世紀、常識、家庭、衛生、印象、権利
それぞれ、西洋語(たとえば、英語)では何と言うかおわかりになるだろうか(解答は、下記の参考サイトをご覧ください)。こうしてみると、今では中学、高校の英語の教科書に、重要単語として必ず載っている単語の日本語訳は、この明治の時代に作られたのだとわかる。
私たち日本人は英語を受け入れると同時に、英語の中にある重要単語に対応することば、英単語の「等価物」を日本語の中に作り出し、それを使い始め、そしていまでは、それらがもともとは翻訳のために作られた単語だとは知らずに、日常生活や自然科学、社会科学の場面で使っているのである。
考えてみると、「日本が西洋化した」という事象は、単に洋服とか靴などのような西洋の品物が入ってきたことばかりではなく、私たちの使うことば、ひいては私たちひとりひとりのものの考え方そのものが西洋化した(正確には、西洋文化の影響を受けて変化した)ことも含んでいるのである。単に、着るもの、食べるもの、住む場所が変化しただけでなく、私たちの概念や思想や文化までが変化してきているということを、いまを生きる私たちは「注意深く」受け止めなければならない。現代日本語の源泉のひとつは、こんなところにもあるのである。
今回の話題を少し大袈裟にいえば、「西洋文明の受容」ということになる。これは、私たちアジア各国の国民にとって、避けて通れないテーマである。私たちの生活も考え方も、気づかないうちに、他文化からの影響を色濃く受けていることに思いを馳せていただければ幸いである。
(参考サイト)
http://www.teikokushoin.co.jp/journals/bookmarker/pdf/200601h/bookmarker2006.01-15.pdf/