今年度のリレー連載は、基礎教育の教員が目を引いたり、皆さんに紹介したい光景などをもとに文章を綴ります。
今月は小川真人先生にご寄稿いただきました。
こんにちは。基礎教育教授の小川真人です。基礎教育では「芸術学A」「芸術学B」を担当しています。
今回は、いま本学中野キャンパスの「写大ギャラリー」で公開中の「新田樹 写真展 樺太/サハリン」展より、パンフレット表紙になっているものを選びました。
日の光がさしこむ室内にたたずむこの女性は李富子さん。2014年にプイコフ(旧内淵)で撮影されました。この一枚をみてわたしたちは20世紀の歴史の暗部に思いを巡らせます。撮影した新田樹は1996年以降このサハリン(「樺太」(からふと))に継続的に足を運んでいます。その地で彼は日本語を話す人たちに出会います。日本人かときくと、「カレイスキー」(戦後この地に取り残された朝鮮半島出身者)といわれる人たちだとわかったそうです。
旧「樺太」(ロシア名「サハリン」)は、1905年ポーツマス条約締結後から1945年太平洋戦争終結まで、日本領でしたが、1945年8月、終戦直前のソ連参戦で日本領でなくなります。このときこの地には約35万人の日本人と2万人から4万3000人の朝鮮人がいました。日本人は大半が内地に引き揚げましたが、朝鮮人とその配偶者の日本人はながくこの地を離れることがありませんでした。写真の女性はその一人です。
かつて日本領であった痕跡が今もなおのこり、日本語がいまもきこえてくる異国の領土のくらしが、写大ギャラリーの優れた展示空間でわれわれの心中に像を刻みます。現代の地政学的混乱に巻き込まれながら、それでも力強く生きてきた人々の姿を、新田の写真に見ることができます。忘れられた人たち、取り残された人々等の言い方は、相応の関心を寄せてこれなかった内地のわれわれの一方的な感傷的言い回しでしかないと言われてしまうかもしれません。しかし、われわれのごく近い土地に、現代史の荒波にもまれながら暮らしてきた人々の姿があることを、現代史とともに、新田の写真を通じてあらためて認識します。
新田樹さんは、これらの写真をまとめた写真集「SAKHALIN」および写真展「続サハリン」で第47回(2022年度)木村伊兵衛写真賞、第31回 林忠彦賞を受賞されました。なお、新田さんは1967年福島県生、東京工芸大学工学部卒業後、麻布スタジオを経て半沢克夫に師事されたのち1996年独立し、写真家として活躍されてきた本学の卒業生です。
※「新田樹 写真展 樺太/サハリン」 2024年9月9日―10月30日 写大ギャラリー 主催:東京工芸大学芸術学部