芸術学部 基礎教育

リレー連載・今月の1枚 5

今年度のリレー連載は、基礎教育の教員が目を引いたり、皆さんに紹介したい光景などをもとに文章を綴ります。

今月は大森弦史先生にご寄稿いただきました。


こんにちは。基礎教育准教授の大森弦史です。

私の専門分野は西洋美術史、特に19世紀イギリス・フランスの版画や諷刺画を研究しています。それに関連して、今回はまっっったく映えない写真を選んでみました。

長辺60センチ程度、デカいだけで何の変哲もない石灰石の石の板です。5〜6年前に本学の大学図書館で展示していたものですが…何だかわかりますか? これは実は版画の版として使われたものです。リトグラフ(lithography)という版画技法で、こうした石を版に用いることから、日本語では「石版画」とも呼ばれます。

リトグラフも石版画も、おそらく聞き慣れない言葉だと思います。美術の授業で版画制作を体験したことがある人は多いでしょうが、ベニヤ板を彫刻刀で彫る木版画か、銅板をニードルと呼ばれる針で彫る銅版画だったことでしょう。木版画と銅版画はそれぞれ印刷方法が違いますが、版の表面を凸凹にすることで、インクの付くところと付かないところを分け、図柄を印刷する点では同じです。そのため「版画」というと、多くの人が凸凹している版を思い浮かべるのではないでしょうか。

しかし、リトグラフは「平版」とも呼ばれるように、版に凸凹は付けません。凸凹もないのにどうやってインクが付く/付かないを区別するのかというと、水と油脂の反発を利用します。

石灰石には細かい気泡があるため、水になじむ性質があります(親水性)。そこにクレヨンで絵を描いてみましょう。この描かれた石板に水を含ませるとどうなるでしょう? クレヨンには油脂がたっぷり含まれているので、描かれた部分だけ水を弾くわけです(疎水性)。では、そこに油脂を含んだインクを全体にのせるとどうなるでしょうか? 描かれていない部分は水を含んでいるのでインクを弾き、描かれた部分にだけインクが付くのです。その上に紙を置いて圧力をかければ、描いたままの図柄が印刷される、という寸法です。頭いいですね。実際には、もう少し複雑な工程を経て製版する(版を作る)のですが、原理としてはこういうことです。

この技法は1798年にドイツで発明されましたが、1810〜20年代には瞬く間にヨーロッパ各国に普及し、19世紀半ばまでには版画技法の事実上の標準になりました。その理由はいくつかありますが、何といってもコストパフォーマンスが異常に高かったからです。版を彫る手間も時間もかかりませんし、版に凸凹がないので摩耗せずに大量に印刷できます。また石版にはさまざまな図柄を転写できたため、写真すらも印刷できるようになっていきます。

そしてリトグラフの最大の特徴は、版画なのに版画「らしくない」ことです。木版画・銅版画の場合、版に凸凹を付けるため、それぞれの材質や彫版〜印刷工程などに由来する「クセ」や「らしさ」がどうしても付きものでした。一方リトグラフは、油脂を含んだ画材であればチョークでもペンでも筆でも、そのまま印刷されます。版画というより「印刷できる素描」といったほうがより適切だと私は思います。その意味で、リトグラフには版画「ならでは」の魅力はわりと希薄です(そのせいか、版画史研究の分野ではあんまり人気がない印象です…)。しかし原画を忠実に複製するための技法として考えた場合、それ以前の版画技法とあきらかに一線を画した革命的な技法だったのです。

この技法の誕生と普及によって版画(print)の時代から印刷(print)の時代へと移行したといえるかもしれません。19世紀には大衆向けの印刷物(新聞・雑誌・書籍・ポスターなどなど)が世間に溢れるようになっていきますが、それもリトグラフなしには語ることができませんし、21世紀の私たちもまた大きな恩恵にあずかっています。というのも、現代印刷技法の標準のひとつであるオフセット印刷は、リトグラフの直系子孫だからです。

そんなリトグラフに焦点を当てた展覧会がちょうど開催中なので、最後に紹介させていただきます。

・小企画展「西洋版画を視る―リトグラフ:石版からひろがるイメージ」

 (国立西洋美術館、2024年6月11日〜9月1日)

 https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2024lithography.html

東京工芸大学は「国立美術館キャンパスメンバーズ(https://www.campusmembers.jp/)」に加入しているため、在学生・教職員の皆さんは無料で観覧できます。リトグラフの多様な表現を堪能できる構成になっていますので、夏休みのお出かけ先候補に入れてみてください。

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