*この記事は、小川真人基礎教育教授が執筆しました。
基礎教育で「芸術学A」「芸術学B」を担当しております小川真人です。今回は私個人の研究活動の紹介ということで、昨年四月に日本倫理学会の『倫理学年報第六十七号』に掲載されました拙稿「倫理学と美学 -ポストヒストリーとの関連で-」について書かせていただきます。
本稿は、一昨年10月に弘前大学(青森県)で開催されました日本倫理学会第68回大会の共通課題「倫理学と美学」に美学研究者として登壇したさいの口頭発表を論文化したものです。美学と倫理学は今日、ひどく隔たった関係のように思われますが、3000年にわたる哲学史をひもとくまでもなく、善とは何かという問題と美とは何かという問題とは内容的に深いところ、たとえば「価値」の問題などにように、つながり合っているといえます。これを倫理学会で討議しようということになりました。当日は、厳しいご意見も頂戴しましたが、私にとってはよい勉学の機会をいただいたと思っております。
拙論の内容は、まず、18世紀半ばに「aesthetica」という学問がドイツで成立し、真理とも道徳とも異なる独自の価値領域として<美的>という分野が境界画定され、そのなかで宗教にも道徳にも回収されない芸術独自の自律性の問題が哲学的に掘り下げられていく19世紀の美学芸術学の発展を追います。後半では19世紀末からのモダニズム芸術運動により近代的な芸術観や美学が厳しく問い直され、さらに20世紀後半のモダニズム芸術理論(グリーンバーグなど)へ至るプロセス、そして1980年代後半、モダニズム芸術理論に対する反省をうながす流れの中で、いわゆる「脱近代」などの現代思想とも関係しつつ、「ポストヒストリー」的な現代アート状況が注目されていったことを確認します。そのうえで、アメリカの哲学者ダントーがこのような流れを捉えながら、「芸術の終焉」(19世紀にこれを提唱したのはドイツの哲学者ヘーゲルでした)を語ったが、その背景には一種の倫理的反省と言うべき動機が存在したのではないか、現代アートを俯瞰すればたしかに倫理的な問題提起を行おうとする表現が随所に見られる・・・というようなことを書きました。
私はふだん現代芸術論的な話はあまりしないのですが、今回は現代芸術論にとりくんでおりますものの、最後は美学、倫理学、芸術哲学的な観点に着地しております。もし美学や芸術学の研究者が倫理的なテーマを回避し、倫理学の研究者が美やアートへの接近を忌避するような傾向があるなら、美学倫理学というテーマにしっかり取り組むことはむしろ大切ではないかと思ったりしております。