芸術学部 基礎教育

2月の一枚:トーマス・ルフの「肖像」

*この記事は、小川真人基礎教育教授が執筆しました。

基礎ブログ二月を担当します小川です。

最近すこし調べる機会がありました関係で現代ドイツ写真を代表するアーティストの一人、トーマス・ルフ(Thomas Ruff)の初期作品『肖像(P.シュトックボイマー)』“Porträt (P. Stockbäumer)”(1988、カラー、210×165cm)〔図版1〕について書かせていただきます。白い背景を背にして一人の女性が表情を特に出すことなくまっすぐこちらを見ている胸像です。これは、よくある証明写真の形式です。一昨年、東京国立近代美術館で開催された『トーマス・ルフ展』(2016年8月30日~11月13日)で私も実見する機会を得ましたが、高さ二メートルを超える作品の偉観に印象づけられました。

図版1

ルフは1958年に南西ドイツの都市ツェル・アム・ハルマースバッハに生まれ、十代に写真の基礎技術を学んだ後、1977年にデュッセルドルフ芸術アカデミー写真学科へ入学、ベルント及びヒラ・ベッヒャー夫妻に師事しました。ここでルフは独自のコンセプチュアルな作品表現のアプローチを深め、その後、世界的に知られる芸術家となっていきました。『肖像』連作は、彼がデュッセルドルフ芸術アカデミー在学中に取り組んだテーマの一つで、1981年に開始されました。彼は学校の友人や同僚など、身近な人々を、証明写真のように規則正しく肖像撮影しました。もとは24×18cmの寸法でしたが、五年後、ルフはこれを高さ二メートルという広告版スケールに作り直します。証明写真のありふれた形式と通常ならざる巨大サイズをあわせもつ写真が美術館の展示空間に出現するさまには、しばし驚きを禁じえません。

1994年から翌年にかけてルフは『別の肖像』“andere Porträts”連作を制作します。次にあげる『別の肖像』“anderes Porträt Nr. 143B/145”(1994/95, silkscreen on paper, 206×155cm)〔図版2〕がその一つです。上記の『肖像(P.シュトックボイマー)』と同じ女性だと気が付かれるでしょう。彼はその初期作品の顔をここで利用しています。その際、1970年代にドイツの警察でよく使われていたミノルタ製モンタージュ・ユニットが使用され、ミラーリング処理を施していくつかの肖像が重なり合って融合し、結果的に灰色がかった、独特の雰囲気をもった画像となっています。

図版2

『別の肖像』が制作されるきっかけは、ルフの初期作品『肖像』連作に芸術学者ベンジャミン・ブクロー(Benjamin Buchloh)が与えた批評でした。ブクローは現在ハーバード大学教授(美術史学)の任にある人物で、ルフがデュッセルドルフ芸術アカデミー在学中にその授業を履修した彼の先生でもありました。ブクローは『肖像』連作のストレートな写真に反動回帰的な面を認め、そればかりかナチス・ファシストの肖像画の嗜好との連関すら指摘します。ルフの『別の肖像』を見ると、そうしたブクローの批評に対するルフの応答がわかるように思えます。つまり、ブクローがルフの初期『肖像』連作にロマンチックでセンチメンタルな昔ながらの肖像表現の退行的復古を見たのに対して、ルフ自身はこの『肖像』連作で、むしろデュシャンやダダなどに通ずる前衛的で先進的な表現を試みていたのです。『別の肖像』でルフは、「異化」(defamiliarization, Verfremdung)や「疎外」(alienation, Entfremdung)といった表現アプローチを強調してみせることで、自分の肖像表現のポイントが何かを明らかにしたと言えます。

こうしてみると、『肖像(P.シュトックボイマー)』は一見ありふれた証明写真のようなストレートな写真の作品ですが、機械技術的背景を伴う写真の表現の客観性とは何かをあらためて我々に問うていると言えないでしょうか。ルフは初期『肖像』連作を制作していた1980年代、オーウェルの小説『1984年』に友人たちと熱中していたとのことですが、全体主義国家の監視社会の世界で写真が人間を監視し管理するツールとして用いられる様子は、ルフの『肖像』連作の問題意識と無縁でないでしょう。一見何の表情も浮かべない人物が写された写真画像には特別な意図も意志もないように見えるかもしれませんが、その背後には人間を監視し管理しようとする権力の意図や意志が不気味に身を潜めているのです。写真は、あらためて言うまでもなく機械や技術が相当程度関与するメディウムにほかならず、写真の表現の客観性も技術や機械に委ねられ、その意味では意図や意志の関わる余地が少ないように思われるかもしれませんが、当然ながら機械技術は決して写真の表現の客観性をどこまでも保証するものではありません。ルフの『肖像(P.シュトックボイマー)』は、そうした写真というメディウムの本質や肖像表現のもつ問題性を再考するよう、我々に促しているといえないでしょうか。

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