芸術学部 基礎教育

2015年度リレー連載 第4回「7月の話:Apple Musicについて」

※この記事は、小川真人 基礎教育教授が執筆しました。

リレー連載7月担当の小川真人です。今回は季節のテーマでなく、季節感とはほぼ無縁のメディア世界、つまり、この2015年7月に私のメディア生活に起きた革新的な出来事について書かせていただきます。

音楽は写真・映像やテクストに劣らず主要なコンテンツメディアですが、自分をふりかえってみても、音楽にふれてきたメディアは様々な変遷をたどってきました。ラジオ、LPレコード、FMをエアチェックしたカセットテープ、そしてCD、MDときて、iTunesなどのメディアプレイヤー、さらにはインターネットラジオというように、です。この7月、定額制音楽ストリーミングサービスApple Music(月額980円)が登場しました。かつて(LPレコードからCDへの移行期)、十代の私にとって音楽を楽曲まるごと自由に聴くにはレコードやCDを購入する必要があり、一枚2500円程度はかなりの出費でした。それこそレコード屋の店頭でLPのジャケット表裏を凝視点検しつつ小一時間逡巡する不審な行動をとったばかりでなく、雑誌のレビューにも複数目を通し、相当の覚悟で購入を決断したこともありました。そのぶん自宅で聴いてみたらがっかりだったときの落胆もかなりのものでした。

今月、私は定額制音楽ストリーミングサービスApple Musicに利用申請し、iTunesのヴァージョンを更新しました。そのfor youの箇所をクリックするとき、まさに別世界が広がります。私はいま、この原稿を書きながら、クストファー・ホグウッド指揮エンシェント室内管弦楽団のモーツァルト交響曲全集を聴いています。これはCDで3万円くらいの値段でした。しかしいま全247曲、20時間9分の音楽コンテンツが月額980円のサービス内で思いのまま聴ける状況にあります。iTunesストアでは8000円でしたが、この購入を私がクリックすることは永遠にないでしょう。あらゆるジャンルの膨大な量の楽曲が月額980円で聴き放題という夢のような事態の出現に私は軽くめまいさえ覚えます。昔、レコード屋(死語?)でさんざん迷ったあげく買わずに忘れてしまった名盤たちがいまや「どうぞ」と言わんばかりに私の眼の前にぶらさがっているわけです。20時間9分という聴取時間をどうやって捻出するかのほうこそ問題だという状況を、時間はあったがお金はなかった学生時代の私はどんな目でみることでしょう。こう書くと何か貧乏じみた話になりそうですが、ポイントはあらゆる種類の膨大なコンテンツがいつでもすぐに利用可能というメディア環境出現の持つ意味です。芸術経験の質は、情報量の多少とは別次元に存在しているはずだと個人的には思いたいのですが、量の拡大はやがて質の変化に転じます。おそらく、今の若い人たちは、われわれの世代が多大な労力と資金と時間を投資して獲得してきたコンテンツ(音楽史や美術史も含む)をごく短時間で造作なく低料金で摂取するでしょう。この革新的な情報環境の出現は、今後、音楽の歴史の歩みをいったいどのように変化させるのでしょうか。歴史の歩みのスピードを速めるのか緩めるのか、それとも歴史感覚それ自体が蒸発してしまうのか・・・その変化の帰結がやがて明らかになってくるそのとき、われわれは2015年の7月という年期を想起するかもしれません。もちろん、その変化はもうとっくに始まっていると言われてしまうかもしれませんけれども。

大島教授がトークセッションに登場!

トークセッション「映像×教育」

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