芸術学部 基礎教育

2013年度リレー連載 第3回:言語学入門

基礎教育のリレー連載の3回目を担当します、松中義大と申します。授業では英語の科目と、「言語とコミュニケーション」「比較文化論」を担当しています。研究分野は「言語学」です。言語学を研究している、と言うと、よく「たくさん言葉が話せるのですか?」などと言われますが、決してそういうことではなく(中にはそういう言語学者もいますが)、根本的には「人間はなぜ言葉を話すのか?」「人間に備わっている言葉を話す能力とはどういうものか?」ということを追究する学問です。これらの問に対し、言葉の持つ音、文法、意味、様々な側面からアプローチが可能ですが、主にメタファー(隠喩)の観点から研究を行っています。

メタファーやメトニミーの表現は、長い間修辞学や詩学、あるいは文体論の問題で、文学作品の修辞的技巧の一つとして取り扱われてきました。J-POPの歌詞を見ると、例えばSMAPの『ライオンハート』に「君はいつも僕の薬箱さ」という一節がありますが、恋人が「僕」にとって苦しみを癒してくれる「薬箱」にたとえられています。簡単に言ってしまえば「うまく言う」ためのツールのようにメタファーは考えられてきたわけです。

こうした状況を変えたのがアメリカの言語学者George Lakoffと哲学者Mark Johnson が1980年に著した Metaphor We Live By という本です。彼らは「修辞的技法としてのメタファー」という伝統的な観点とは異なり、メタファーが思考や行動に至るまで浸透しており、概念体系の大部分がメタファーによって成り立っていると考えました。この考え方を出発点として、言葉の持つ意味(概念)の理解には私たちがよって立つ身体的・経験的基盤が必須であり、それらを他の概念の理解にも応用するなどして、抽象的な概念も理解していると考えます。例えば、我々が五感等を通して経験的・身体的に認知した空間概念をより抽象的な時間概念を把握するために用いる、すなわち時間概念を空間概念に「譬える」ことで理解するということになるわけです。これは、「過去を振り返ってみる」や「我々のには輝かしい未来が拡がっている」などの言語表現にも見られます。「過去を振り返ってみる」は、メタファーという意識を持たないほど定着した表現ですが、過去があたかも私たちの背中側に位置しているかのようにとらえられていますし、「我々のには輝かしい未来が拡がっている」では、未来が私たちの目の前という空間上に存在するものとしてとらえられています。こうした言語表現を元に、人間がどのようにその概念構造、特に抽象的な概念を会得してきたのか、ということを言語の視点から解明しようと試みるものです。
ここ数年の研究課題は以下のとおりです。

1.感情をあらわすメタファー表現について日本語の視点から取り組むこと。
認知意味論のパラダイムである言語の意味の身体的基盤について探求するにあたり、身体的現象と精神的現象の接点ともいえる「感情」をとりあげ、日本語にはどのような感情を表すメタファーが存在するのか、を探っています。また、感情は人類にとって普遍的なものですが、言葉によって表現の仕方に違いがあるかどうか、も研究しています。例えば、「怒り」という感情の言語表現を見るとき、普遍的に見られるのが身体を容器と喩え、その内部の液体(特に血)が熱くなったり、圧力が上昇するという事柄を表すものです(例:頭に血が上る、I had reached the boiling point. She is blowing off stream.)。一方で、日本語にはいわゆる「腹」の文化とでも言うことの出来るものを背景として、「腹が立つ」や「腸が煮えくり返る」など、独特な表現が存在します。これらの表現も身体をある種の容器として捉える点では共通の特徴を持ちますが、「血」をベースとした一連のメタファー表現とは明らかに異なるものとなっています。このように、身体的基盤という考え方と、言語の意味構造の普遍性・相対性を考える上で、感情メタファーは重要な鍵となる研究対象となっています。

2.言葉以外のメタファーについて
メタファーが表層的な言語表現にとどまらず、より深い概念形成の部分に関わることを先に述べました。その考えからすれば、メタファーは言語だけでなく、他の表出方法があってもよいわけです。この考えの一例が、上記の怒りの表現です。著作権の問題でここに例示できませんが、マンガやイラストなどで、怒っている人のこめかみに「#」のような書き込みがあるのを目にされた方もいらっしゃるでしょう(絵文字でも(-_-#)というものがあります)。元々は血圧の上昇に伴う血管の膨張を描いたものと思われますが、そうあからさまに血管が浮き出て怒る人というのはあまりお目にかかりませんから、「怒り」という感情のメタファーとして描かれていることになります。その証左としてこの記号がこめかみ以外の位置に書かれていたり、さらには身体とはかけ離れた位置に書かれたりするものがマンガには多く見られます。また、テレビのバラエティー番組の字幕などでもその発話をしている人の感情表現として用いられているときもあります。また、日本語では「顔が曇る」「心が晴れる」「先生の雷が落ちる」など、感情を気象現象(さらには自然現象全般)にたとえる表現があります。これもマンガやアニメでキャラクターの感情表現として背景の天気が急に悪天候になったり、火山が噴火したり、という形で表現されているのは、メタファー的な表現と言えるでしょう。こうしたマンガやイラストの面からの研究は芸術学部にもふさわしいものと思い、今後も力を入れていくつもりでいます。

3.メタファーから見た日本文化
例えばゼミに配属になった時やクラブに参加した時などに「早く仲間に溶け込みたい」という表現があります。自分という個性を突出させるのではなく、自分という境界線も消し去って集団の中にうまく混ざり合おうとする、という点でとても日本的な表現です。また、「淀みなく話す」とか、「過去を水に流す」のように、日本語では「水」にたとえるケースが多く見られます。こうした例から、日本語とそれを使う日本という社会や文化の特徴を研究していこうと考えています。

参考図書
*瀬戸賢一 『よくわかる比喩』 研究社 2005年
*鍋島弘治朗『日本語のメタファー』くろしお出版 2011年
*瀬田幸人、保阪靖人、外池滋生、中島平三 編著『[入門]ことばの世界』 大修館書店 2010年

最後に、英語を担当する教員という立場からひと言。よく「どうやったら英語を話せるようになりますか?」という質問をされることがあります。英語の勉強は山登りと同じ、と言われます。もしなるべく早く頂上に到着したければ、険しい急斜面の道を登らなくてはなりません。つまり、猛勉強したり、24時間英語に触れられるよう、英語圏に留学することです。逆に、楽に頂上を目指したければ、緩やかな登山道を時間をかけて登ることになり、それなりの時間が必要になるわけで、コツコツと、時には登山道が頂上とは逆の方向を向くことがあっても疑問を持たずに「頂上に立つ」という強い意志をもって一歩一歩登らなくてはいけません。学校での英語の授業は、登り方を手助けするもので、教員は言わば「シェルパ」、登るのは皆さん自身です。(いま、英語学習を「登山」にたとえるというメタファーを実践しています。)

また、英語学習はスポーツと一緒、と言う人もいます。運動部に所属している(いた)人も多いと思います。毎日の練習を頑張らないと試合でよい結果は残せませんね。練習することで筋力を付け、感覚が研ぎ澄まされます。英語学習も「頭と耳と口の筋力トレーニング」です。練習の時、惰性で何も考えないでバットやラケットを振っていても上達しません。英語も同じで「聞き流す(これも水に関わるメタファーです!)」だけでは上達しないのです。流してしまっては自分の手元には何も残りません!

2013年度リレー連載 第2回:アートとサイエンス入門

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