今年度のリレー連載は、基礎教育の教員が目を引いたり、皆さんに紹介したい光景などをもとに文章を綴ります。
今月は石井麻璃絵先生にご寄稿いただきました。
基礎教育(英語)を担当する石井麻璃絵です。本日は、昨今訪問した朝倉彫塑館について紹介したいと思います。
朝倉彫塑館は、明治から昭和にかけて活躍した彫刻家、朝倉文夫(1883-1964年)のアトリエ兼自宅で、現在は美術館として一般公開されています。建物のある「谷中」は江戸時代の都市計画で寺院が集められた町で、昨今は古い日本の町並みや寺院巡りをする外国人観光客の姿を多く見ます。霊園には多くの桜が植えてあり、春には桜とたくさんの墓石のコラボレーションといった一種独特の風景を楽しむことができます。
建物に入ると、まずアトリエがあり、裸婦像をふくめ様々なポーズをとった像が配置されています。中でも目を引くのは「小村寿太郎」の像で、座っているにも関わらず3メートルほどもあり、天井に届きそうなほどでした。また、早稲田大学の創設者である大隈重信の像は朝倉の代表作の一つで、早稲田大学構内にある「大隈重信像」と同じものが展示されています。人物の造形が皺から服のヒダまで素晴らしく細かく、まさにその人物が本当に実在していたことが良く分かります。当時の彫刻家はモデルの人物にあまり似せずに作品を作っていた者も多かったようですが、朝倉は人物に似せることにこだわり、リアルで生命力のある像を作り出せたのではないかと思いました。
アトリエを抜けると朝倉文夫が客人を通していた書斎、弟子たちが出入りしていた部屋、四季の花々が美しい池のある庭、家族たちが使っていた部屋を見ることができます。朝倉はインテリアに並々ならぬこだわりを持っていたようで、テーブルや椅子といった家具だけでなく、手すり、壁の模様、冊子などの全てが細かく計算されたデザインによって配置されていることを感じました。
今回、はじめて朝倉文夫の作品を見学し、彼の人柄に触れることになりましたが、朝倉が子供の頃はあまり優秀ではなかったという話は意外で面白かったです。彼はもともと大分県大野郡上井田村の村長の、11人兄弟の5番目の子として生まれ、10歳の時に衆議院議員の弟朝倉種彦の養子となりました。朝倉文夫は高等学校を三度も落第してしまい、何とかしなければと思った母によって彫刻家であった兄を頼って上京します。そこから彫刻に魅了された彼の才能は開花し、彫刻家としての活動が始まりますが、やはり、何事も「好き」の力は強いと改めて思いました。
館のなかで特に面白かった場所は、屋上の菜園でした。朝倉は人物や生き物の彫刻を作るにあたり、野菜作りや植物の世話が生命の理解につながると考え、弟子と一緒に菜園を作っていたそうです。ここでは写真を撮ることができ、東京の眺望が楽しめます。
ところで、皆さんには写真の像が何に見えるでしょうか。
この像は建物の入り口からも見上げると見ることができるのですが、まるでロダンの「考える人」を想起させるデザインです。私はタイトルを見るまで、像の人は野球のボールを持っているのかな?でも野球の玉にしては大きいなと思っていました。この像のタイトルは「砲丸」で、砲丸投げをする選手のようです。彫塑館の建物から東京の街並みを見下ろすこの像は、まるで人々の営みを見守っているようでした。