*この記事は鈴木万里 基礎教育教授が執筆しました。
今年のテーマは写真を添えて記事を書くことになっています。最近はほとんど写真を撮りませんので困り果て、数十年前に撮ったものを探し出しました。
初めて英国を旅行した時のもので、ヘザー(heather)という花です。イングランド北部、スコットランド、アイルランドの荒野(moor)などヨーロッパに自生するツツジ科の灌木です。7~8月になだらかな丘陵一帯が満開のヘザーに覆われて赤紫色に染まり、見事な景観を呈します。
最初に英国を訪れた時に一番楽しみにしていたのが、その風景でした。小学校6年の時に読んだ小説『嵐が丘』にたびたび登場して、ずっと想像していたのがヘザーの広がるヒース(heath)と呼ばれる荒野の姿でした。この小説がきっかけになって、その後英文学を志すことになったという、私にとっては人生を決定した本でした。
何度も読み返してヒースの情景を心に描いていたので、実際に目にした時にはとても懐かしい気がしたほどです。19世紀の詩人エミリ・ディキンソンの作品に次のような一説があります。
I never saw a moor, 私は荒野を見たことがない
I never saw the sea; 私は海を見たことがない
Yet know I how the heather looks, でもヒースの丘がどう見えるか
And what a wave must be.波がどんな形をしているか知っている
やはり人間の想像力には、見たことのないものを見せてくれる力があると納得しました。
『嵐が丘』の作者エミリ・ブロンテは、30年の短い生涯で1冊の小説と150篇あまりの詩を残しています。北イングランドのヨークシャー州、ハワースという村の牧師館でほとんどを過ごしました。現在この建物は「ブロンテ記念館」として保存、公開されています。
建物の右側3分の1は19世紀後半に増築された部分で、ブロンテ関連の貴重な資料が保存されています(予約すれば利用可能)。リーズ大学で修士論文に取り組んでいた頃には、ここに通って1日中19世紀の雑誌の書評を読んでいました。研究対象以外のことは一切考えずにひたすら資料を読み耽るという、このうえなく贅沢で充実した時間を過ごすことができました。
人生の中でこのような豊かな時間をもてる機会はそれほど多くはありません。
毎年夏が近づくと、満開のヒースの風景を思い浮かべています。またいつか訪れたいと思いつつ・・・