芸術学部 基礎教育

2015年度リレー連載 第1回「4月の話:藤にホトトギス」

こんにちは。基礎教育助教の大森弦史です。

さて、今年度の共通テーマは「12ヶ月」、それぞれが担当する月にまつわる話を何か書くという趣向になりました。新年度初っ端なので、私の担当は「4月」です。

これまで月の20〜25日あたりが〆切だったのに「それだと4月終わっちゃうから早めに」とか、「専門とそれとなく絡められるといいよね」とか、「後で書くみんなが困るから長すぎるの禁止!」とか、他の教員からいろいろ好き勝手な注文がつくのもトップバッターの悩ましいところ。無難に「桜」あたりを取りあげようとかも思ったんですが、すでに散り始めてるので止めにして…、今回はこれについて書いてみようかなと思います(図1)。

図1:「藤にホトトギス」(任天堂製)

花札です。「花札なんか知らん」という人は、この辺りでひと通り勉強してから続きを読んでください。

*花札の歴史・遊び方

http://www.nintendo.co.jp/n09/hana-kabu_games/

…花札で圧倒的なシェアを誇る任天堂のサイト。

*花札

http://www.gamedesign.jp/flash/hanafuda/hanafuda.html

…完成度が高いFlashゲームです。「こいこい」が遊べます。

花札は12種×4、計48枚で構成されます。12種はそれぞれ12ヶ月に見立てられ、その時節を表すに相応しい草花をベースに、鳥やら動物やらがあしらわれたデザインになっています。なお、今私たちに馴染み深い図柄たちは任天堂が発売しているものですが、原型はすでに江戸時代中頃に定まっていたようで、さらに元をたどれば、中国由来の花鳥画や大和絵(やまとえ)の伝統にまでさかのぼります。四季の移ろいを感じさせる大変「日本らしい」図柄といえます。

そのうち4月に当たる草花が藤です。旧暦なので今の暦の感覚とひと月くらいずれています。で、上の「藤にホトトギス」はその最高札である種札(10点札)というわけです。都会でホトトギスを見かける機会はそうないですが、藤の花はこれからが見頃なので、ネタ的にもちょうどいいんじゃないですかね。「…このネタなら12ヶ月分、1人で書けるんじゃないの?」とか言われそうな気もしてきましたが、それは全力でお断りしておきます。はい。

さて、「こいこい」を遊んだことがある人なら分かると思いますが、この藤が手札にくると、ちょっとガッカリします。藤(と5月の菖蒲)には、光札(20点札)がない、赤タンも青タンもない、取ったところで大した得点が望めないからです。「藤にホトトギス」はそんな切なさを象徴する存在なんですねぇ…。

しかし私は子どもの頃からこの札がすごく好きでした。見た目の印象が他とちょっと違ってカッコイイと感じていたからです。

まず、このホトトギス(カッコウの仲間。漢字では杜鵑、時鳥、不如帰、子規などと書く)、とにかく目つきが悪い。本物はわりとつぶらな瞳をしてるんですけどね。まあ、花札の動物たちはたいてい目つきが悪いんですけど、その中でもトップクラスにやさぐれています。ボディが妙に生々しいのも、その印象に拍車をかけているのかもしれません。また種札のくせに色味も乏しく、「ダウナー系」というかアンニュイな感じがあります。三日月から分かるように夜の設定であること、寒色系の藤の花がベースであること(雨のようにも見える…)も影響しているんでしょうか、総じて明るくて華やかな高得点札たちのなかで、アウトロー感を醸し出していたわけです。

美術史の専門家のはしくれになってから気づいたことですが、この子どもの頃に受けた印象はなかなか的を射たものだったようです。「他とちょっと違う」のは、実は単に目つきや色味の問題だけではないからです。「藤にホトトギス」には、構図とそれによって生まれる導線(私たちの視線を導く方向や流れ)に大きな特徴があります。花札の図柄に詳しくない人は、上に挙げた任天堂のサイトの「札の知識」というところに一覧がありますので、そちらを参照しながら読んでください。

まず構図。ほとんどの札は、縦長の画面に対して下の方に構図の重心があります。植物のたぐいは大抵の場合、地面から上に向かって伸びますので、画面を有効に使って描こうと考えると、どうしたって下の方にモチーフが偏りやすくなるからです。これが画面内の空間の上下を強く印象づけ、かつ落ち着きと安定感をもたらします。なぜなら私たちには、イメージ(絵や画像)を日常の視覚体験と結びつけて見るクセがあるためです。重力のある生活をしている私たちにとって、重たそうもの、ボリュームのある目立つものが宙に浮いてるのはどうにも落ち着かないわけですね(例外として、10月の紅葉のカス札のように平面に散りばめられたような上下の区別が乏しい図柄もありますが、これは琳派などに代表される日本美術の装飾的側面を反映しているといえます。これはまた別の機会があれば)。

その中で藤の構図だけ逆です。上半分に構図の重心があり下に余白を設けています。これは藤の全体を描いたものではありません。枝がしだれる特性を強調するため、上部のフレームから枝先の部分だけを画面内に収めています。なお、この特徴は同じく「しだれる系」である11月の柳にも見られます。が、柳の場合は、下に人物像(小野道風)やツバメが配置され、藤ほど上部に偏った印象は受けづらいです。

そして、この構図が導線を生みます。大体の札において、私たちの視線は下から上へと導かれるはずです。私たちはより目立つものに惹かれやすいため、画面の重心のある方にまず目がいきます。ほとんどの植物は地面に根を張り、そこから重力に逆らって上方向に伸びますから、大元である根や幹や茎が先で、そこから枝葉にそって視線を動かすのが自然、と私たちは感じやすいわけです。

この導線は、モチーフの形や身振り、動き、視線などによっても喚び起こされ、複雑に絡まっていきます。

例えば1月の「松に鶴」は下から、鶴の脚、胴、首、クチバシを経て、お天道様へと辿り着くように見るのがわりと見やすいはずです(試しに逆からたどってみると、どうにも具合が悪く感じられるのではないでしょうか)。7月の「萩に猪」は、画面の右下を起点として、猪の体・鼻先・視線、そして何本かの萩の枝をそれぞれなぞるように、複数の導線が斜め上に向かって広がるように伸びています。それらが上の赤い雲とぶつかって扇のような形を生み、画面に密度とまとまりをもたらしています。

この場限りで適当な分類名をつけるとすれば、この「上昇型」とでも呼ぶべき構図が、花札の図柄の多数派といえそうです。もちろん例外はあって、11月の「柳に小野道風」は、外側を重厚な囲いで覆って内側へと導線を閉じ込めていくようなタイプで「中央収斂型」、先にあげた紅葉のカス札は、導線らしい導線がなく「散布型」とでも呼べるでしょう(これらも今考えた適当な呼び方です)。そしてこの「上昇型」は、本ブログでの別の投稿記事(あつぎ協働大学 第3回「西洋美術における『希望』のイメージの歴史」https://blog.t-kougei.ac.jp/liberal-arts/2014/07/26/569/)でも書きましたが、現代日本にかぎらず多くの時代・文化圏においてポジティヴな印象と結びつきやすいものであり、明るく、華やかで、おめでたい花札の印象にも一役買っていると思います。

ここまで来ると「藤にホトトギス」の印象が「他とちょっと違う」のがなぜか分かると思います。藤だけ、下の余白としだれる枝が私たちの視線を上から下へと導くはっきりとした「下降型」だからです。そして、中でも「藤にホトトギス」はひときわ上部偏重であり、勢い良く滑降する鳥影が、右上を起点に左下に向かって雪崩を打つかのように下降する導線をさらに強調しているわけです。花札の中で最もダイナミックな図柄といってもいいでしょう。

しかしこれは裏を返せば、非常に危ういということにもなります。上にも書きましたが、画面の下に重心がある方が私たちは安心しますし落ちつくので、この構図は本来的にはアンバランスです。でも、そう感じせないよう、モチーフの配置に工夫が施されています。

三日月の位置に注目してください。三日月(サイズ的には五日月くらい)は、夜の情景を説明する道具立てにすぎないように見えますが、実は構図の破綻を防ぐ上で重要な役割を果たしています。左上を始点に右下に向かって弧を描いてホトトギスと重ねることで、逆方向の導線を形成しています。それが一瞬で横切ろうとするホトトギスを画面に縫い止めるクサビとなっているわけです。誰がこの図柄の原型を生んだのかは分かりませんが、この描き手は、ただ右上から左下へと私たちの視線が流れるのを防ぐために、導線を逆方向からぶつけることで画面の釣り合いをとったんでしょうね(試しに月を頭の中で消してみてください。その印象は大きく変わることでしょう)。

このように「藤にホトトギス」は確かに得点的には振るわないかもしれませんが、図柄の秀逸さでは光札に負けないほどの輝きを放っているのですよ? これから花札で遊ぶときには、この話を思い出してちょっと優しくあげてください。

ちなみに「藤にホトトギス」に見られる構図は、「日本らしい」もの、日本美術特有のものといって、差し支えないのではないかなと思います。簡単に「日本らしさ」を語ると日本美術史の専門家の皆さんにお叱りを受けてしまいそうですが、江戸時代の浮世絵、例えば歌川広重の『名所江戸百景』などをパラパラ見てみると似たような感覚が発揮されたものを見つけることができますし、同時代のヨーロッパで開花したジャポニスムの作例を見ていくと、こうした一見アンバランスな構図のものによく出くわします。それは、当時のヨーロッパの芸術家たちが自分たちの伝統とは異なる「日本らしさ」を見て取ったからこそでしょうね。

まあそれはともかく、ここでいいたかったことは、花札のようなありふれたイメージにも構図があり、構図は導線を生み、それが見た目の印象を大きく左右するということです。もちろん「藤にホトトギス」は、はじめからその効果を明確に狙って制作されたわけではないと思います。試行錯誤を繰り返しながら「なんかいい感じ」のものが残った、というのがホントのところなんでしょう。でも、そういう「いい感じ」の感じどころというものが長い時間をかけて少しずつ堆積してきたものが、美術史であり、イメージの歴史なんですね。そして堆積したものや堆積の仕方は、時代や地域や民族などによって当然違ってきます。同じカードゲームでもトランプにはない「日本らしさ」を花札の図柄に感じるとしたら、それは、その違いを私たちが無意識に了解しているからです。

こうしたイメージを見る際の了解、お約束、ルールというのは、大体の場合意識されないですし、しなくてもほとんどの人は大して困りません。が、イメージの〈創り手〉にとってみれば実はとても重要なことです。「自分はこういうつもりで描いたんだけど、上手くいかない…」なんてグチを学生さんから聞くことがありますけど、それは、今の世の中が共有しているイメージのルールをきちんと把握してないからそうなるんです。

どんなスポーツでも上手くなればなるほどプレーの自由度は増していきますが、上手くなるには正しいトレーニングが必要で、正しいトレーニングをするには高めるべき能力を的確に把握しないとダメで、そして、その能力を的確に把握するためには、そのスポーツのルールを充分に理解しなければいけないんですね。

イメージの見方にも、明文化されていないルール(それも刻々と変化し続けるルール)があります。それを一朝一夕で身につけることはできませんが、さまざまなイメージに触れ、よく観察し、そしてちょっと厄介ですが言葉にしてみることで、徐々にその輪郭が見えてくるようになります。美術史は、そういうルールを目に見えるようにするための学問ですので、皆さんの制作の大きな力となるはずです。そうした心持ちで私の授業を聞いてもらえると、寝ないで楽しめると思いますよ?

…「またダラダラ長く書きやがって」と怒られること確実です。この辺りでおしまいにします。以上、4月の話でした。

お知らせ:2015年度リレー連載

2015年度リレー連載 第2回 「5月はサイパンや沖縄で南十字星が良く見えます」

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