芸術学部 基礎教育

公開講座 第3回「異文化コミュニケーション」

*この記事は、橘野実子 基礎教育助教が執筆しました。

芸術学部公開講座(2014年春季)「現代社会とコミュニケーション」

第3回「異文化コミュニケーション」

橘野です。芸術学部春期公開講座の3回目は、「異文化コミュニケーション」について考えました。

まず前半は、対人型の異文化コミュニケーションについてです。異文化コミュニケーションを語る場合、文化とは何か、常識とは何かを考えることがまず必要になります。セルフチェックなどで自分の「文化的な常識」を調べて、常識とは何かを考えてみましょう。たとえば、「他人の家の冷蔵庫の中のものを断りなしに食べてよいか?」という問いに対して、どのように答えますか。世界には、冷蔵庫の中のものを無断で食べてよい(むしろ食べたほうがよい)文化もあれば、勝手に食べるとは失礼にあたると考える文化もあります。日本文化は、勝手に食べては失礼という文化に分類されるでしょう。異文化コミュニケーションは、【あなたの常識は私の非常識。私の常識はあなたの非常識。】という世界です。

ところで、私たちが影響を受けている文化は一つとは限りません。「国=文化」というわけでもありません。文化とは、学習され、集団によって共有され、世代間で受け継がれるものですので、日本文化、アジアの文化、地域の文化、A会社の文化、B学校の文化、男性・女性の文化など多くのタイプの文化が考えられ、それぞれが部分的に重なり合っていることもあります。異文化コミュニケーションを考えるとき、国家対国家のコミュニケーションという見方を持ち込みすぎないほうがよいでしょう。

異文化コミュニケーション場面では、誤解が生じることがありますが、それを解決するためのヒントとして、その状況を分析する方法があります。誤解が生じた状況を客観的に描写して、それをそれぞれの文化の立場からどのように解釈し判断したのかを考えます。特に相手の文化的枠組みから見て「~さんならこう考えた・こう感じただろう」と相手に共感することで、理解が進みます。

講座の後半は、異文化コミュニケーションとしての翻訳を取り上げました。翻訳が異文化コミュニケーションと言うと不思議に思うかもしれませんが、単に辞書通りの意味を、ある言語から他の言語に置き換えただけでは理解可能な翻訳にはなりません。翻訳者は、受け手の文脈(状況や背景情報)を判断して最適な翻訳を選択することが求められ、その意味ではプロの異文化コミュニケーション実践者と言えます。よい翻訳の要素として考えらえる項目に、翻訳が受け手にとってわかりやすいこと、原文の雰囲気や味わいを伝えること、正確に原文の意味内容を伝えることが考えられますが、すべてを満たす翻訳は成立しないこともあります。そこで翻訳者は、これらのどの部分を重視するかを選択しているのです。

講座では実際の翻訳(源氏物語と聖書)を取り上げて、どの部分に翻訳者の選択と決断が表れているかを見ていきました。源氏物語の場合、英語への翻訳と現代日本語への翻訳を比べると、受け手の文化の違いや持っている背景情報の違いによって、大きく翻訳方法が違っていることがよくわかります。たとえば、英語翻訳は、源氏や登場人物の呼び名の変化などの細かい部分はあえて訳さずに、読者の混乱を防いでいますが、現代日本語訳では注をつけたり、少し呼び名をわかりやすくしたりして、同一人物が呼び名が変わっていることを訳文の上でも示しており、原文の味わいをできるだけ伝える配慮が感じられます。

聖書の翻訳の場合は、聖典であるがゆえに正確さが非常に重視される一方で、わかりやすくないと信徒以外の人には読んでもらえないというジレンマがあります。そのため、時代も文化も言語も原典から遠く離れている日本人読者向けの翻訳は難しいとされていますが、それにどのように学者や専門家が立ち向かってきたかを、年代を追って紹介しました。

この講座でお伝えしたのは、異文化コミュニケーションを考えるとき、文字を介したコミュニケーションにせよ対面型のコミュニケーションにせよ、相手(受け手)の状況や持っている背景情報に対する知識や想像力、理解しようとする態度が必要だということです。また、異文化間の完全な理解に至ることは難しくても、それに近づく努力を双方でできたらそのコミュニケーションは「成功」に限りなく近いと言えるのではないでしょうか。

芸術学部フェスタ

公開講座 第4回「メディアとコミュニケーション」

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