本日、明日はオープンキャンパスです。
学校をあげて受験を考える方々、興味を持った方々に楽しく学校を知ってもらうことがキャンパスを見ていただく目的です。
しかし楽しさを見せるだけで厳しさを伝えないのでは…ということで少し厳しいことを書きます。
国数英理社などに比べると美術は遊びのようなものです。勉強に疲れた時にちょっとノートの端にパラパラまんがを描いたり、落書きをしたり。
それをずっとやれるとしたらどれだけ楽しいことだろう、と思う人もいると思います。
しかし例えば「もっと良くなるから修正しよう」と指導を受けても「自分では満足したのでこれで大丈夫です」となったり、「作品の全体が見えていないから、この特定部分にこだわりすぎるのはやめよう」と言われてもずっとそこにこだわり提出に間に合わなかったり。
それは、勉強ではなく趣味です。
課題では単純な形で簡単な動きを求められても、複雑なキャラクターを描き、難しい動きをつけたい。そういう気持ちは充分理解出来るけれども、課題には意図がありそれを理解出来ているかいないかは、学校では大きなポイントになります。
よってたとえ上手でも課題違反は注意されますし、「それっぽいイメージ」でやれば同じくあまり評価はされません。
もちろん「言われたことを言われた通りにやりました」という姿勢も誤りです。
美術は暗記ではありません。自分で考えて描く、作る。誰も代わりにやってはくれません。
だからこそ単純なこと、基礎的なことほど深く丁寧に考えることが大事です。
まず土台を固めることが勉強です。好きにやるは自主制作であり、学校の課題はそれだけではありません。
だから学んでいて辛くなってくると、美術の勉強の合間に携帯ゲームをしてしまうなどに変わっていきがちです。
それは勉強の合間の落書きが「勉強本体」になったからこそ起きる苦しみです。
例えば建築をする時に構造設計が出来なければ家は建ちません。かっこいい家つくりだけを考えて崩れたら大惨事です。
例えばシュート練習だけでプロサッカー選手にはなれません。地道なパス練習やドリブル、トレーニングが派手なプレーの裏にあります。
それらと同じように観察すること、自らやってみること。物事を理解し、丁寧にこなす。
描いたり作ったりする前にそういった地味な努力が美術やアニメーションの根本です。
全員がアニメーターを目指す訳ではありませんが、作るためには自らの手で何かを動かしていく必要は出てきます。
学科では、キャラクターデザインだけをやるとか、自分は監督をやるから周りに作ってもらうとか、そういう事は出来ません。
苦手なことにもチャレンジして総合的にアニメーションを学びます。
だから高校までと変わらず宿題もあれば、課題が忙しくて自分の時間が取れないということもあると思います。
「絵を描かなければいけなくて、絵を描く時間がない」というようなSNSのつぶやきがありましたが、美術を学ぶとはまさにそれです。
それでもやっぱり上手になりたい。将来の夢を叶えたい。そういった覚悟と意識が専門性の高い学校で学ぶために必要になります。
「ちょっとやってみたい」「勉強と比較すると絵を描くのが好きだから」で4年間アニメーションの勉強を頑張る事が出来るか?をしっかり考えましょう。
進路を考えるとは自分に問いかけをする事です。
アニメーションを作ったり絵を描くのは楽しいです。しかし楽しいことでも、学ぶには苦しさも伴います。
乗り越えていくには目標をしっかり持つこと。なぜ自分は勉強をしたいのか?それを時間をかけて考えてみましょう。
ただしこれは「学校で勉強をする時間」のことです。
課題でノビノビして欲しいですがそれが出来なかったとしたら、学んだことを使い、個人で、仲間で制約のない自主制作をして大いに発散して欲しいです。